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Part 2
片山医療をめざして
創刊号 より
常務理事・医師 山口 時子
このたびNPO法人恒志会の理事という大役を仰せつかりました山口時子と申します。
現在、東京で開業しておりまして肛門科、胃腸科の診療を行っております。医科の人間が、どうして理事に? 片山先生との接点はどこにあったの? と不思議に思われる方もいらっしゃると思います。片山先生との出会いは20年以上も前にさかのぼります。私の母がいなければ片山先生にお会いすることはありませんでした。母が47歳で乳ガンの手術を受けた後、当然のごとく歯の調子が悪くなり山形の歯医者さんを受診しました。
その時、何本か歯を抜かないとだめでしょう、と言われたのがショックだったようで、何とか抜かないで済む方法はないものかと本屋さんで片山先生のご本、「歯無しにならない話」に出会います。
母は目からうろこ、というより大変感銘を受けた様子で片山先生にぜひ診察していただきたいと何度も、たぶんしつこくお電話しておりました。片山先生はもう診察していらっしゃらないとおっしゃると今度はお手紙でご相談させていただいたようです。
その後は母の、他人の迷惑を顧みないねばり強さで豊中まで出向いてしまいました。
その頃私は医大の2年生だったと思います。母は片山先生のお話に感動し、医師をめざす私の方向性を見つけた、ととても興奮していました。そして私も母に同行することとなり片山先生にお目にかかることができました。最初から片山先生のお話が理解できたわけではありませんが、とにかく予防医学が大切、ということはわかりました。医者は病気を治すのではなく、病気にならないようにするためにはどうしたらいいのか考えるべきだ、ということです。
医者から患者さんへのお仕着せではなく患者さん自身にも努力してもらえるように仕向けていくことが必要であるということなど、患者である母と医師の卵である私を前に片山先生のご経験の中から具体的にお話していただいたように記憶しております。 13年前、私が医者になって5年目に母は他界しました。
そのころの私は外科医としてあわただしい毎日を送っており、片山先生の提唱された医患共働作戦を実践する余裕などありませんでした。 しかし母の死、まもなくして父の死後、私に転機が訪れました。医者になって5年ただ突っ走ってきた自分でしたが、今後医師としてどう生きていくかということでした。一般外科医から肛門外科医になるべくトレーニングを受けるため病院を変わりました。
肛門疾患は基本的に良性疾患ですが、排泄する場所として毎日便うためトラブルが生じた場合に不快や苦痛を感じやすく、食物繊維の少ない食生活、排便習慣、運動不足、ストレスなどによって影響をうけやすい、まさに生活習慣病なのです。痔は手術をしても痔の原因が取り除かれなければ再発します。この点に関していえば歯科疾患と同様です。再発を予防するために医患共働作戦が必要になります。
現在、どのくらい実行できているかどうか、満足いくものではありませんが、片山医療を目指してがんばりたいと思っております。片山医療を歯科のみならず医科にも広めていくことが私の使命だと思っております。
片山先生はじめ、理事の諸先生方にご指導いただきながら、自分の務めを遂行していきたいと思っております。どうそよろしくお願い致します。
佐伯さんとの出会い
一治療を担当させていただいてー
常務理事・歯科医師 沖 淳
人生のさまざまな局面で偶然の出会いが重要な役割を果たす結果になることがあります。
その出会いを偶然と考えるか、それとも必然と考えるかで自分自身の気持ち、行動に大きな影響を与えるはずです。本当を言えば、人生は全くの偶然でもなく、全くの必然でもない、偶有性の範囲で日々生活しているのが正解かもしれません。
しかしながら、人との出会い、患者さんとの出会いの中で、必然ではないかと強く感じる出会いが、ときどきあります。
佐伯さんとの出会いも何かそのような気がします。
この一年、片山恒夫先生の遺稿となったマイニー博士著『Root Canal Cover-Up』の日本語版『虫歯から始まる全身の病気 一隠されてきた歯原病の実態ー 』を発刊するため編集に関わり、主題である「病巣感染」について多くの本を読む機会を得ました。
その中の一冊が堀田修先生の『慢性免疫病の根本治療に桃む』でした。
堀田先生は原因不明とされているIgA腎症の原因が扁桃や歯からの病巣感染にあるとの考えで、独自の治療法を生み出された腎臓内科の専門医です。1000症例以上の治療を手がけられ、多くの患者さんを寛解※・治癒に導かれた実績をお持ちです。
当初、国内ではその考えは認められず、よくある話ですがアメリカで論文を発表された後、世界でも同じような論文が発表されるようになった今、国内でもやっと一般的な治療法として認められるようになってきているようです。
その著書の中に強く衝撃を覚えた一行がありました。病巣感染の原病巣を初期段階で見つけ治療していけばIgA腎症が透析にまで行かなくて済み、多くは根治・寛解が期待できるという記述でした。
IgA腎症を早く発見、治療することにより透析を避けられる人が出てくる可能性があるということの事実を多くの方に知っていただくことはとても重要なことと考えていた矢先、透析されている患者さんからのご紹介で出会ったのが佐伯さんでした。
おロを拝見して、小さいころから歯で苦労されていたことが読み取れました。口腔内の状況、レントゲン診査、扁桃でも苦労されていたということなど総合的に判断して扁桃、歯が関係した病巣感染の可能性を直感しました。
佐伯さんには病巣感染とは何かについてお話し、堀田先生の著書も読んでいただきました。
過酷とも思える現在の口腔内の状態を長年耐えてこられたということは本質的には強靭な強さを持たれているはず。
また一方で驚くべき前向きな生き方。
これらのことからきっと悪条件を取り除くことで、もっと良くなっていただけると確信しました。
体験者である佐伯さんから生の声は何よりも貴重で影響も大きいものになるはずです。
そんな思いから原稿依頼を申し出たところ、「私でお役に立てれば」と、告白しにくい原稿を快く引き受けてくださいました。
佐伯さんに闘病記を書いていただいた後、会報編集長の関先生からお手紙をいただきました。
主治医から病巣感染を直感したことを一言書いてほしいとの依頼でした。
プライバシーに関わることなので、佐伯さんに関先生からのお手紙を原文のまま読んでいただき、返事を待ちました。
そしてご両親、ご本人の想いが深く心に響くご返事をいただいたのです。
承諾を得てお二人(佐伯さん、関編集長)の手紙を原文のまま、下段に掲載させていただきます(手紙 1、2、3 )。
医療者として大切なことは常に「哲学」と「科学」。健康とは何か、正常と異常との違いは何か、
病気とは何か、病因は何か、病因はとこにあるのか。病因の除去には何をすればよいのか。医療者として何かどこまでできるのか。患者さんと共に健康回復、健康増進を目指し、害のないそして再発再燃のない治療を目指すことが片山恒夫先生の教えでした。
現在私が受け持てることは、病因ならびに口腔内に残っている原病巣と思われるところの除去、それに加えて正しい咀嚼機能を回復し、佐伯さんと協働で免疫系、内分泌系、神経系を改善し体全体の弱さを克服していくことです。
病気があることを感じさせない前向きな生き方、明るさ、さらに、何をすることがよいのかしっかりと自ら勉強し、積極的に挑戦されている姿は他の病気で悩んでおられる方への励みと参考になるはずです。健康になられる要素を十分にそなえておられます。
前歯が開き、後ろの大臼歯だけで咀嚼しなければならないほど下顎が後退して機能不全になっておられた状態から機能訓練、筋訓練も併用しながら治療を進めて行きました。現在は前歯も含め、全体の歯で咀嚼できるようになっておられます。
少なくとも歯が病巣の一部になっていたとしたら、現在は身体全体、腎臓への負担も軽減されつつあるのではないかと思います。
現在でも掌蹠膿疱症、関節リウマチなどの慢性免疫病の多くは原因不明と片づけられ、対症療法で苦しんでおられる患者さんが多くおられるはずです。
今、堀田先生が主張されておられるように臓器別、診療科目別の医療の弊害が問題になってきています。
病巣感染が疑われる疾患はとくに他科との連携と知識の共有が絶対に必要です。
しかし残念ながら実情はそうではないのです。
先端医療ばかり注目するのでなく、解明されていないことも多くある、古くて新しい病巣感染をもっとみんなで考え、再度見直す時期が来ているのではないでしょうか。
医療においても、真実を探求し続ける姿勢、絶対に諦めない姿勢が大切です。そうすればいつか道は開け必ずや患者さんと医療者共に、大きな喜びを分ち合えるのではないかと思っています。
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求めつづけなさい。そうすれば与えられます。探しつづけなさい。そうすれば見出せます。
たたきつづけなさい。そうすれば開かれます。
マタイ7:7
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寛解※:病気の症状が、一時的或は継続的に軽減した状態。または見かけ上消滅した状態。
恩師と共に歩んで(手紙1)
佐伯 佳子(仮名)
「急性腎炎、即入院が必要です」36年前、12歳のとき病院で,母と共に告げられた言葉でした。
そのまま車椅子に乗せられ病棟へと運ばれます。
以来、指導をいただき、大恩ある医師の方々を恩師と呼ばせていただいてきた、約半生の出逢いです。私の第一の恩師の先生と、半年間もの長い入院生活にて、当時は小児科でしたので、勉強の時間、おやつの時間あり、洗面、歯磨きなど、一日の生活のリズムが規則正しく決まっていたものです。
おやつの時間に、小六の私は、小児科での縦割り社会としては、年長者だったためか、丸ごとのりんごとナイフが出て来るのには驚いてしまいましたが今思うと我が家では(なぜか)摺りおろしたりんごを食べていたので、美味しかったことを億えています。養生の甲斐あって、中学生に成った頃には寛解。
剣道部で汗を流し、楽しい学生生活を謳歌していました。(年に二回の検査入院は欠かせませんでしたが大学病院で、1、2、3と毎年腎生検をしIgA腎症と診断)その頃の私の歯の状態はと、思い起こしますと、美意識という、少し不純な動機ながら綺麗に保つことを心がけておりました。虫歯の治療も当時はまだまだ、痛くこげくさいと、歯科へは行かずにいたいという思いも手伝いましたので。
八重歯のある私の歯並びは、磨きにくくなかなか困ったものだ、と考えつつも。
扁桃には、よく悩まされていて、物心ついた頃には、とてもハスキーボイス(!?)」で、学校でお友達からそんな声の歌手にたとえられていた事が嫌だなあと、思っていました。
ひんぱんに喉がかれ、痛くなることがあって、朝起きると、「おはようございます」と言えない程になっていることもありました。
年に2回は、決まって40度の発熱をするというのは、成人になるまで続いていました。
扁桃をとると、熱を出さなくなりますから、とりましょうというお話しはいただいていた様でしたが、くしくも、当時友人が手術をしていて、その話を聞きますと、椅子に腰掛けたまま、口を大きく開けてはさみでチョキンと、切ると話してくれたもので、絶対にイヤと、親に言ったことを憶えています。
結婚をし、息子を授かった頃、長い間に少しずつ右肩下がりになって来ていた私の腎臓の機能は正常な方の二分の一程までになっていました。
そこで、第二の恩師に出逢います。
「出産は最初で最後のチャンスですよ。皆で出来る限りの事をしますから、チャレンジしましょう、頑張ってみましょう」と、完全なサポート体制を敷いて下さいました。
夫、家族の全面的な協力のもと、食事は付加食塩0g、玄米菜食のご指導のもと合併症も出ず、無事に出産にこぎつけることが出来ました。
驚いた事に息子がお腹にいた頃の私の腎臓は百%正常に動いていて、出産を終えると又、元通り二分の一(50%)にもどる訳ですが、生命の神秘未知なる力の存在を、つくづく感じることのできた感動の事実でした。
自分の歯並びに苦労をした私は、息子こそはと、徹底した歯みがきを施し、おしゃぶりにはごぼうを与えるなどして、よい歯の表彰を受ける程一所懸命子育てをしておりましたが、遠方の幼稚園への送迎の頃には、私の身体が疲れをみせていました。
頭痛や、神経をとる治療、親知らずを抜いた際に骨炎を患ったあたりから歯の不調が続いたりしたあと、急激な腎機能の低下により人工透析を受けざるをえないところまで悪化。
第三の恩師に出逢います。
◇ ◇ ◇
食事療法の指導を受けながら、何とか半年程養生し、これから始まる週三回の透析の生活の準備をしました。
息子5歳、私30歳、夫34歳からその生活は始まりました。
命は頂きましたが、それは大変な苦痛や不自由さとの闘いです。が、それと引きえかえにその事の感謝の気持ちが私に色々なやる気を起こさせてくれた様に回想しています。
料理指導をはじめたことは、自分、家族の健康の意識を高めるためにとても良いことになりました。息子が成人します頃には、体力作りに始めたジャズダンスを本格化し昨年より、舞台に出させていただくまでに、力をそそぎ、練習を重ねました。
すると今度は、元来歯並びの良くない私の歯に変調が表われます。くいしばる動作等の負荷により、根が折れてしまい、ひどい歯周病に罹りました。
失意の中、何軒かの歯科治療ののちに第四の恩師に出逢います。この私の歯の噛み合わせを治して頂けるという驚きの先生に。
◇ ◇ ◇
治療は、まだまだ途中ですが、噛み合わせ改善のおかげで忘れかけていた、よく噛んだ御飯の甘さや、まさに、針仕事で歯で糸を切るという事を思い出させて頂きました。
振り返り、一時期でも私と人生を共に歩いて下さった恩師の皆様に心から感謝を申上げます。
そして何かを得、何かを代償として失うことがあったとしても、そこから又何かを得、立ち上がって、前を向いて歩いてまいりたいと存じます。
沖 淳 先生 御机下(手紙2)
関 正一郎
昨日は早速佐伯さんから更に聞き出された内容を加えた原稿をお送り頂き有難うございました。
昨日一晩考えて、またまた先生を悩ますことになるかも知れませんが、会報の新しい誌面作りができそうに思ったのです。
片山先生は、「聞くんだ」「聞くんだ」「いくら聞いても聞き足りない」とおっしゃられていました。
先生は佐伯さんに出会われた時、本当に噛めない咀嚼状態と悪化した口腔環境、そして腎不全すなわち口腔と腎疾患の関連を直観されたのです。にも関わらず、実に明るく前向きに生きておられる患者さんのようです。そして、ここにこれだけの記録として明らかにすることができました。これを是非誌面に表せないものでしょうか。
私は佐伯さんの最初の原稿は、そのままに本人の主治医に対する感謝のあらわれとして載せたいと思います。
次に医療者として、”この病気の源はどこにあるのか”の問いが大切と思います。
中学1、2、3、年と入院以来毎年の如く大学病院で腎生険を重ねてこられました。
しかし、堀田先生は述べておられます。いくら腎臓を調べても根本原因は腎臓そのものには無く、他にあることが示唆されると、IgA腎症における血尿の責任病変は、腎糸球体にあるメサンギウムのIgA沈着ではなく、緩徐でしかも数十年にわたって持続する“くすぶリ型糸球体毛細血管炎”との見解です。
その成立機序は不明点が多いが、扁桃を中心とする口腔、咽頭、領域の慢性病巣感染とそれによる粘膜、骨髄に対する持続刺激であり、結果としての糸球体内皮細胞に対する白血球の反応性亢進であり、結局、慢性炎症の積分値であると申されています。くしくも、佐伯さんは扁桃炎、鼻咽腔炎そして10数本にも及ぶ抜髄歯やその修復に伴う荷重負担による骨の炎症、歯牙の破折など歯科的にも悲惨な状態になっておられたと思います。
主治医として先生が感じられたこと、佐伯さんが語っておられたことなど客観的に感想を述べて頂ければ、読み手には“聞いて、聞いて、丸ごと診る医療”の大切さが堀田先生の文と共に相挨って良く伝わるのではないかと感じます。
幸いに、病巣感染について理解頂き、書いて頂いた佐伯さんの誠意を生かして、先生の主治医としての感想を語って頂けたら今回のテーマにふさわしい内容となると思いますが、如何でしょうか。
沖 先生(手紙3)
佐伯 佳子(仮名)
ごていねいに、ありがとうございました。
関先生のお手紙、これが本当なら・・・
私の(大げさではなく)人生の何かが、すごく大きく変わると思い、感動を憶えました。
私の両親の想い。
遺伝性はないこの病気に、どうして娘がなってしまったのだろうと、まじめな父母(お父上は元農林省事務次官)は本当に思い悩み、苦しみながら私を守ってくださり、一生そばに置くつもりでいてくれていました。
夫という人に私がめぐり逢い、病気の私を丸ごと引き受けたいと云う夫に、理解をしてくれた両親。
けれども亡くなるまで、その原因(病気の)について、納得のいかぬままで可哀そうでした。
透析を受ける前、わりにおちついていたデーターが急変し、坂道をころがる様に悪くなってしまったことについて、主治医の先生もIgA腎症は進行性ではないので、なぜこんなことになったのかと。
一か月程の検査入院でありとあらゆる検査をしても解らずオープンバイオプシーという話も出た程でしたが結局、子育て中であった点など考慮されて、原因はそのままに透析に入るという経緯がありました。
私も少なからずあった病気、両親への不満、思ってはいけないことを思ったりしたこともあり、その原因が特定されるかもしれないということは実にスッキリと今後の人生を、墓前にも報告し、歩んで行けそうな思いです。
Writer profiles
山口 時子
恒志会常務理事・医師
沖 淳
恒志会常務理事・歯科医師
関 正一郎
恒志会常務理事・歯科医師
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